中田喜子の若い頃の画像
ベテラン女優ですが、現在でも活躍されている中田喜子さんの
女優歴を若い頃からおってみました。
70代をむかえてもなお美しい方ですが、今はどんな生活をおくっておられるのでしょうか。
1971年、18才のときの歌手としてのデビュー曲「白い汽車」。
この後1972年からは女優としてデビューされました。
女優転向後、1974年昼ドラマ初のヒロイン役となった「やっちゃば育ち」。
1979年~1988年まで出演したNHKの「連想ゲーム」ではキャプテンをつとめられました。
この頃はもう30代でベテランの域ですね。
出典元:X
1990年からの「渡る世間は鬼ばかり」シリーズでは20数年にわたり【三女・高橋文子】役を演じました。ドラマの中ではアルツハイマーの義母を介護する場面があり、ファンの方々から「介護がんばってね」と声をかけられたこともあるそうです。
田中喜子の幼少期~デビューまで
中田さんは1953年に築地の蒲鉾加工業「増田屋」のお生まれで5人姉妹の末っ子でした(一番上の姉とは8才差)。5人姉妹、祖父母、両親、住み込みのお手伝いさん2人という大所帯での暮らしだったようです。
お母さんの趣味の影響で6歳から高校生まで日本舞踊の稽古をしておられ、着物の着付けや裾さばきが自然と身についたと語っておられます。下記写真の後列が中田喜子さんです。
中田喜子が芸能界入りしたきっかけ
高校生の頃に日活の養成所に日曜日だけ通いながら女優活動をはじめましたが、活動の為に学校を休む状況が多くなってしまいました。
そこで、学業に専念するためいったん養成所を辞めて、高校卒業後あらためて芸能事務所に所属して本格的に活動をはじめられました。
これは中学生の頃の中田喜子さんです。まだデビュー前ですね。
中田喜子の若い頃からの活躍や演技に対する評価は?
1990年からの「渡る世間は鬼ばかり」シリーズでは三女の文子役を20数年間演じ、その他橋田壽賀子氏の「春よ、来い」では体調不良で降板した安田成美に代わって主役を演じました。
文子役では家事や育児放棄、アル中などの個性の強い役柄を演じていた為、それが理由でファンが離れたこともあったようですが、「それこそ役者冥利につきる」 とテリー伊藤等業界人は彼女の正統派演技をとても評価していたようです。
また女優業以外でも、NHKのクイズ番組「連想ゲーム」のも1979年~1988年に出演、他にも土曜ワイド劇場・ドラマ・バラエティー等数えきれないほどのご出演歴があります。最近では趣味のDIYで本を出版したり、2023年公開予定の映画「ゆとりですがなにか」への出演の他、「徹子の部屋」にも出演され、現在でも人気衰えることなくご活躍されています。
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